2024/02/25 14:12
子どもが生まれ、3週間。育休中の私は上の子の世話と家事全般を担っている。
週末、お義母さんが来るというのでトイレ掃除をサボっていた私に妻からトイレ掃除の命が下った。
トイレ掃除をしながら、子どもの頃流行った歌である植村花菜『トイレの神様』が私の頭をよぎる。
トイレにはそれはそれはキレイな女神様がいるんやで
だから毎日きれいにしたら女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで
https://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE
というあれだ。
シンガーソングライターの植村花菜が自身の亡くなった祖母との思い出を振り返り、自分自身の生き方を振り返りながら、祖母が教えてくれたトイレの神様を信じて日々トイレをピカピカにするよ。良い人生を送るよ。主張して歌は終わる。
この9分52秒にもなる長めの曲が一世を風靡したのは2010年。
どこか頭から離れないメロディーと歌詞を元に、小説や絵本が作られ、テレビドラマにもなる大ヒットをとげた。
当時中学生だった私は冷めた視点でこの歌を眺めていた。
「トイレに神様いないよ」「トイレ掃除と容姿は関係ない」と正面からしらけていたように思う。
社会的には、感動の歌として受容されたが、一方では、家事労働を女性に押し付けるような歌であるとか、家事の一つでしかないトイレ掃除に精神性を付与することへの違和感など否定的に受け取った人も少なくないだろう。
まさに、今年で30歳になる私が、『トイレの神様』を思い出して考えたいのはやはりこのことである。
つまり、道徳、ジェンダー、スピリチュアリティである。今更ではあるが、『トイレの神様』から今の日本社会をとらえてみたい。
まずは、『トイレの神様』前夜とはどんな時代だったのか。
2000年代初め、空前のスピリチュアルブームが日本を包んでいた。オウム真理教事件後に影を潜めていたオカルトやスピリチュアルなどが社会の中で注目を集め始めた。バブル崩壊後の経済の低迷の中で社会が変化していく時代でもあった。
2004年には、占い師でオカルティストの細木数子が人生相談に応えるという「ズバリ言うわよ!」が放送開始。
2005年には、江原啓之と美輪明宏による「オーラの泉」が放送開始される。
同年、かねてから注目されていた「癒し」をテーマに「癒しフェア」という関連商品の即売会がスタートしている。
秋川雅史の「千の風になって」が大ヒットしたのも2006年だ。
宗教やスピリチュアルは組織ではなく、個人のものとしてとらえる風潮が強くなり広まった時代であった。
上記の2番組はくしくも2008年~2009年に終了。
ひとつのブームが終わりを見せるタイミングで『トイレの神様』が発表される。
そして、2011年には東日本大震災が発生。甚大な被害が発生するとともに、心の傷を負った人も多かく、宗教やスピリチュアルにも注目が集まるようになっていった。
このように、「トイレの神様」も一連のスピリチュアルの流れで位置づけることはできるのではないだろうか。
植村花菜は、この曲のヒット後、祖母の生家がある鹿児島県沖永良部島をおとずれたとするスポーツ紙の記事が見つかった。
この記事には地元の人が実は親戚だったと知ったり、地区の言い伝えに『「トイレをきれいにすると美人になれる」との言い伝えが色濃く残って』(スポニチ)いることを知ったと書かれている。
彼女に伝わったトイレの神様とは何者なのか。
検索してみると、様々な記述がある。全国の図書館で作られる調べもの相談のデータベースがあり、そこにもトイレの神様についての質問と回答が記されている。曰く、
『民間信仰等では「厠神(かわやがみ・かわやのかみ)」、「便所神(べんじょがみ)」などの呼び名の神がいるとされている』
例の沖永良部島での詳細な信仰についてはわからないが、類似の神が信仰されていたのではないか。
続けて、『卜部神道では「埴山姫神(はにやまひめのかみ)」、「水罔女神(みずはのめのかみ)」、仏教(密教または禅家)では「烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)」をさす。』と回答されている。
性別については、『厠神は「盲目、手無し」「美しい女神」という様々な説がある』ので地域差があるのではないだろうか。
信仰としては、『出産と深い関係を表し「産を軽くする」「掃除をするときれいな子が生まれる」「汚くしておくとアバタの子、不具の子が生まれ、禍を与える」という説や、民間信仰に「雪隠参り」や「雪隠雛をまつる」、「突然入って厠神が驚かないよう咳払いをして入る」、という説がある。「怒って目や歯にたたるので、唾をはくものではない」という祟り神としての一面もある。』とも記されている。
また、別のHPを見ると烏芻沙摩明王の神話が書かれている。
『トイレの掃除を毎日すると幸運が訪れるとして、僧侶の修業時代には良くやったものです。言い伝えによると、昔々、新築の家の玄関や台所など要所要所に神々が住み着きましたが、えもいわれぬ美しい女神さまがお化粧していたため遅れてしまってトイレしか住むところが空いてなかったそうです。この神様が烏枢沙摩明王です。この神様はトイレ掃除する人に福を授け、女性なら美人にしてくれ、また子供も授けてくださいます。 良く聞く話ですが、大きなお寺さんなどでは大僧正クラスの偉いお坊さんが率先してトイレを掃除されるのもこのためです。』(仏像ドットコム)
また、『厠の神には母胎にいる赤ちゃんを男の子にさせる力があるとされたため、男の子を求める戦国武将に広く信仰されました』(ALL Aboutくらし)ともされている。
ここまで見てみると、植村が『トイレの神様』の中で歌った祖母から受け継いだ信仰の一端が見えてくる。
こうした民間信仰が、現代のJPOPの歌詞として世の中に広く伝わった。そして、地域の言い伝えとしてではなく、スピリチュアリティの一つとして受容されたと見れるのではないだろうか。
トイレ掃除と道徳観のつながりも多くの議論が予想される。
保守系の掃除を推進する団体の多くは、素手でトイレ掃除をすることを美徳として奨励する。先日、京都市長選に当選した松井氏も素手で便所を掃除するが支持者とは握手をしたくないと言う発言が拡散し批判が集まった。
別にこれは政治家だけではなく、「素手でトイレ掃除」することは美談や心を清めることとして取り上げられることも多い。
こうした一つ一つを組み合わせていくと、『トイレの神様』を批判的に読み解くことは十分可能だろう。
日本において、妊娠出産、それ以前に月経も穢れとして扱われ不浄なものとされてきた。また、トイレだけでなく、家の中の水回りも不浄な場所として扱われていた。だからこそ、トイレと妊娠出産は結びつき、「厠神」になるのではないか。そしてトイレ掃除をすることは、女性の仕事であり、最終的に男子を産むことで成就するという男尊女卑、家父長制を象徴する行為ともとれる。故に、トイレ掃除をすると美人になれると説くこの歌が、女性を締め付ける道徳の歌として受け取られても致し方ないように思える。
もちろん、現代において、そして植村の祖母にとって、トイレの神様(歌詞では女神様とあるが)は自分自身の人生をエンパワーしてくれる存在だったに違いない。植村にとって、トイレの神様は美人になるとか、どうとかいう現世利益を求めるものではなく、祖母との絆を確かめる存在としてある。このように肯定的に受け止めることはできるが、祖母との絆をトイレ掃除に象徴させることに、スピリチュアルな意味を見出さずにはいられない。
社会学者の橋迫瑞穂の『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(2021)では、女性の不安な感情がスピリチュアリティに向かっていく様を詳細に描き出している。妊娠出産が個人化し世俗化することで、心の持って生き方が難しくなった時に、時に家父長的でナショナリスティックなスピリチュアル市場に巻き込まれていく様子は心に迫るものがある。
植村にとって、上京して自分の人生を歩んでいく中での不安な思いが、トイレの神様というスピリチュアリティに接続したのではないだろうか。
最後に私なりに、この歌について考えを記して終わりにしたい。
私は、ふいにこの歌を思い出して、「女神様」の正体を知ろうと調べてみた。わかったことは、一人の女性の中にある個人的な信仰が社会に浸透していく姿だった。そこには、通俗的な道徳観とマッチした価値観が広く民間信仰に端を発していること、根底にあるのが家父長的な価値観であることだ。
中学生の頃には理解が及ばなかった側面を考えることができた。一人の人生と宗教観の複雑な絡み合い。社会の空気としてのヒットソングのありようについて思いを馳せることになった。
私にとって、トイレ掃除は、ただの家事であり、信仰の対象ではない。どれだけトイレ掃除を美化しようとも屈する気持ちにはならない。それは私が男性だからなのかもしれいない。それでも言いたい。『トイレの神様』は家父長的な歌である。トイレ掃除はトイレ掃除でしかない。これは誰かの信仰を毀損する言葉かもしれない。それでも、それでも言っていく必要があるのではないだろうか。
女性は穢れではない。トイレは穢れではない。掃除は聖なる行為ではない。それは掃除に過ぎない。
これが烏芻沙摩明王(仏像ドットコムより)
参考
Wikipedia「トイレの神様」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%A7%98(2024年2月25日確認)
東洋経済オンライン「無宗教の日本人が「スピリチュアル」にはまる謎 2000年以降の江原啓之ブームは何だったのか」https://toyokeizai.net/articles/-/687794 (2023年7月21日更新 2024年2月25日確認)
スポニチ「植村花菜のルーツは大久保利通!祖母の故郷で知る」https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/03/10/kiji/K20110310000397940.html (2011年3月10日更新 2024年2月25日確認)
仏像ドットコム「烏枢沙摩(うすさま)明王」https://www.butsuzou.com/jiten/ususama.html (2024年2月25日確認)
ALL Aboutくらし「トイレ掃除と運気の関係、金持ちや美人になると言われる理由」https://allabout.co.jp/gm/gc/485858/ (2023年11月20日更新 2024年2月25日確認)
レファレンス協同データベース「トイレに神様はいますか」https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000100045&page=ref_view(2015年㋃20日更新 2024年2月25日確認)
橋迫瑞穂『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』2021年集英社